「パパ、ゼルダやってー!」
「はやくやってー!ほら、テレビつけたよー!」

 もうすぐ4歳になる娘と息子が叫ぶ。
 はいはい、ちょっと待ってね、とぼくがソファに向かう。
 妻が「あ、まだ始めないで!待って待って」と、カフェラテだかソイラテだか、なんだかよくわからないおしゃれな飲み物をあわてて淹れ、同じくソファに座る。

 我が家の『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』は、いつもそうやって始まる。


 もともと家族4人でマリオカートをやるために買ったニンテンドースイッチだったが、いまや、プレイ時間がもっとも長いのは1人用ゲームの『ゼルダ』だ。それをみんなで楽しんでいる。
 買った当初は、リビングのテレビをひとりで占領する後ろめたさがあって深夜にこっそりやろうと思っていたのだが、なぜか妻も子どもも興味を持ち、逆にゼルダをやってやってと言われる不思議な現象が起きている。


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 コントローラを持つのは、決まってぼくだ。この家で唯一のゲーマーなので、いちおう、リンクをいちばんうまく操れる。
 妻は、優秀な指揮官である。たとえば、地理や方向感覚がさっぱりなぼくに「◯◯ならあの山を東から超えれば近いはず」みたいなことを教えてくれる。
 娘と息子は、たぶんよくわかっていないだろうけど、とにかく楽しそうに画面を見ている。「あ、とりがいるよ!」とか「きのこがあるよ!」とかは、よく気づいて教えてくれる。「ほこら」という言葉も覚えた。祠を知っている3歳児はなかなかレアではなかろうか。


 そんなこんなで、我が家はすっかりゼルダ一家である。
 こうなったのはおそらく、まず妻が興味を持ってくれたことが大きい。子どもたちは、両親がそろって何かを楽しそうにやっていれば、あたりまえに興味を持つだろうから。

 『ブレスオブザワイルド』がゲーマーでない妻を惹きつけたのは、ひとつは、その美しい世界そのものだと思う。多くのオープンワールドゲームが追求してきた「リアルな美しさ」とは違う、ゼルダ独自の美しさがそこにはある。


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 そしてもうひとつは、攻略に必ずしも「ゲーム的常識」を必要としない、秀逸なゲームシステムのおかげだと思う。
 ゲームに慣れた人はその経験から、「この高さの壁は登れない」とか、「この扉は鍵がないと開かない」とか、「これは◯◯用の道具だ」とか、多くのゲームで暗黙のうちに適用される常識をよく知っていて、それをゲーム攻略に活用する。

 しかし、『ブレスオブザワイルド』はその常識を必要としない。ときにはむしろ、ゲーム的常識がアイデアを狭める要因になったり、現実世界の常識を持ち込んだほうが有利だったりする。
 たとえば何かに火をつけるとき、必ずしもその場に用意されたたいまつを使う必要はなくて、炎の剣を振るったり、別のところから持ってきた木片を燃やしたり、そこらへんの道具を使って摩擦熱で火を起こしたほうが早かったりする。なんでもアリなのだ。
 だから、「ええっと、たいまつの火種はどこだ……」なんて探し回っているゲーマーのぼくに、非ゲーマーの妻が「石こすって薪に火つけちゃえばよくない?」と一瞬で解法を提示する、みたいなことが頻繁に起きる。ははあ、おみそれしました、と土下座で感謝するぼくである。


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 先日、詳細は伏せるが、迷路のようなダンジョンで完全に行き詰まってしまった。
 何度も道を間違えて、そのたびにスタート地点に戻された。燭台を目印にしたらいいんじゃないかとか、顔のような形をした木の向きや表情にヒントがあるのではとか、妻と相談しながらチャレンジしまくったが、ぜんぜんダメだった。

 そんなとき、不意に子どもたちがある発言をする。

「パパ、ママ、リンクはさむいの?」
「えっ?寒くはないんじゃない?なんで?たいまつ持ってるから?」
「あと、かぜがふいてるから」

 か、かか、風!
 ホントだ!風が吹いている!特定の方向に向かって火の粉が飛んでいる!

 そうか、風かあ。これも思えば、「意味ありげな燭台や木にヒントがあるはず」というゲーム的常識が邪魔をしていたな。そのせいで、風に意識がいっていなかった。
 子どもたちもすごいし、ゼルダというゲームも、やっぱりすごい。



 その日は、午後から散歩に出かけた。
 ぼくたちは親子で手をつないで歩き、ふだんは気にも留めない路傍の草花のかすかな揺れに目をやり、「風が吹いてるね」と笑った。