iTunesの「ファミリー共有」機能で、妻が買った楽曲を適当にダウンロードして聴いていたら、back numberの『高嶺の花子さん』という曲に出会った。

 聴いたのはたぶん、初めてではない。
 ぼくはラジオ好きなので、そこで何度かかかっているのを耳にしたことがある気がする。そのときは半分聴き流していたから、「ふーん、メロディがいいなあ」くらいの印象しかなかった。



 しかし、iPhoneにダウンロードし、通勤電車の車中で初めてフルコーラスをしっかり聴いたとき、電流が走った。
 約1時間の通勤時間、ぼくは延々と1曲リピートを続け、特にその歌詞を何度も噛み締めた。

「これ、めっちゃめちゃいい曲じゃないか!」

 『高嶺の花子さん』は2013年の楽曲。
 それが名曲であるということや、その歌詞がすばらしいことなんてもう語り尽くされまくってることは重々承知だが、それでも語らせてほしい。周回遅れもはばからず、この衝撃と感動を伝えさせてほしい。



ジャンルとしてはラブソングだが……

 『高嶺の花子さん』は、もっとも大きなジャンルでくくれば「ラブソング」であり、もう少し限定すれば「片想いソング」である。
 ひとくちに片想いソングといっても、そのストーリーはいろいろある。定番は、片想いから始まって曲の最後に恋が実る成就パターン、告白するも玉砕してしまう失恋パターン、アプローチに向けた一歩を踏み出すところで終わる今後に期待パターン、好意を押し殺しながら友人として恋の相談に乗る苦悩パターン……などだろうか。
 しかし、『高嶺の花子さん』は新境地を切り拓いた。もはや出尽くしたと思われた片想いソングに、「それがあったか!」と誰もが唸る新風を吹き込んだのだ。



なにもしないしなにも起きない片想いソング

 『高嶺の花子さん』は、ひとことで言ってしまうならば「なにもしないしなにも起きない片想いソング」である。ヘタレ受け身男子の究極形みたいな歌である。
 流し聴きするとキャッチーなメロディーと「夏」「笑う君」「会いたい」などのポップなキーワードにだまされそうになるが、よくよく聴けば、主人公である「僕」は最初から最後までなにひとつ行動していない。一歩も動いてないし、 ひとこともしゃべってないし、なんなら指一本すら動かしていない可能性がある。
 冴えないおっさんが公園のベンチで「はぁー、宝くじでも当たんねぇかなぁ」とボヤくように、おそらく「僕」はひとり暮らしの部屋のすみっこでちょこんと体育座りをして、「はぁー、あの子僕のこと好きだったらいいのになぁ」とため息をついているだけなのだ。それだけで4分55秒持たせているのだ。
 冷静に考えたらすごくないですか、これ。もはや革命じゃないですか、これ。



『高嶺の花子さん』歌詞(J-Lyric.net)

 歌詞全文はこちらで確認してほしい。
 この記事中では歌詞は部分引用にとどめ、そのすばらしさをできる範囲で紹介していく。



なにもしたくないけど好かれたい

"君を惚れさせる 黒魔術は知らないし 海に誘う勇気も車もない"

 曲の序盤、Bメロ。
 好きな人と付き合いたいと思ったとき、最初に出てくる発想が黒魔術。この時点でだいぶヘタレをこじらせていることがわかる。でも共感しちゃう。
 「僕」は身のほどをよくわかっていて、自分ほどのランクの人間がいくらがんばったところで、高嶺の花である「君」には届きっこないことを悟っている。だから、好かれるための努力なんてする気はハナからない。ムダだもん。
 でも、たとえば黒魔術的な、人外の力が働いてくれたら……なんかよくわかんないけど勝手になにかが起きてどうにかなってくれたら……
 もはやヘタレを通り越して人間のクズの領域だが、ぼくは深く共感した。
 これこそ、日本全国のヘタレ受け身男子の根本にある思想なのだ。なにもしたくないけどどうにかなってほしいのだ。



君のほうから一方的に来てくれないか

"会いたいんだ 今すぐその角から 飛び出してきてくれないか"

 もっとも印象的な、サビのメインフレーズ。
 ふつうの片想いソングなら「会いたいんだ 今すぐ」と来たら「駆け出して君に会いに行くよ」的な歌詞が続くが、高嶺の花子さんは違う!
 「その角から飛び出してきてくれないか」とあくまで他力本願!「僕」は決して自分から行動なんて起こさないのだ!


"生まれた星のもとが 違くたって 偶然と夏の魔法とやらの力で
僕のものに なるわけないか"

 なるわけないかー!そりゃそっかー!
 僕なんにもしてないもんなー!いっさい動いても喋ってもないもんなー!
 このすがすがしいまでのダメ人間っぷりに、ぼくたちヘタレ受け身男子は心打たれずにはいられない。わかるよ超わかるよ。



進展どころか病状が悪化する2番

"君の恋人になる人は モデルみたいな人なんだろう
そいつはきっと 君よりも年上で
焼けた肌がよく似合う 洋楽好きな人だ"

 ふつうの片想いソングなら、1番でウジウジしていても2番で一歩を踏み出すものだが、高嶺の花子さんは違う!むしろよりいっそうダメになっていく!
 なんと、「どうせ年上で日焼けしてて洋楽好きな男と付き合っちゃうんだろうな」と、リア充への恨みつらみと偏見にまみれた妄想を始めてしまうのだ。もちろん一歩も動かずに。


"駄目だ何ひとつ 勝ってない
いや待てよ そいつ誰だ"

 あっ、よかった!気づいた!
 そうだよ、そいつ誰だよ!ただのお前の妄想だよ!
 お前はいったい誰と戦ってるんだ!とりあえず外に出て日光を浴びろ!そしたら前向きになれるよ!


"会いたいんだ 今すぐその角から 飛び出してきてくれないか"

 ダメだったー!
 悪い妄想はいったんストップできたけど、根っこはなにも変わってなかったー!
 なにもしない!なにもしないけどなんか起きてほしい!!
 なんなんだお前は!お前はぼくか!!


"君が他の誰を 気になっていたって 偶然とアブラカタブラな力で
僕のものに"

 で、やっぱりオカルトに頼る。
 百歩譲って、本気で魔術を勉強するならまだ評価できる部分があるが、「僕」はけっきょく「なんか不思議な力が働かねぇかなぁ」とぼんやり願っているだけ。
 その本質は、「なんか異世界に転生して選ばれし最強の勇者になって世界救えねぇかなぁ」みたいなラノベとまったく同じである。
 それを一般ウケするオシャレな歌にできちゃうってすごくない?



動かざること山のごとし

"真夏の空の下で 震えながら 君の事を考えます"

 ふつう「真夏の空の下で 震えながら」と来たら「君を待っているよ」的な歌詞が続くが、高嶺の花子さんは違う!
 ただ考えるだけ!誘ってもなければ待ち伏せするわけでもない!脳以外はなにひとつ動かさないのが「僕」の流儀なのだ!
 「真夏の空の下で震えながら」と言っているということは「あ、とりあえず外には出てるんだ」と思えなくもないが、これまでの究極ダメ人間ぶりを見ていると若干あやしい。ただ自室の冷房を効かせすぎて寒いだけなんじゃねえかという気もしてくる。


"会いたいんだ 今すぐその角から 飛び出してきてくれないか"

 曲の最後、サビの繰り返し。
 いろいろあったが、けっきょく最後に願うのはこれ。やっぱり絶対なにもしないけどどうにかなーれ!


"生まれた星のもとが違くたって 偶然と夏の魔法とやらの力で
僕のものに なるわけないか"

 なるわけないかー!なるわけないよねー!
 歌はこれで終わり。
 4分55秒を通じて、「僕」の行動はゼロだし、進展も成長もゼロ。なんなら、ネガティブな妄想をして勝手に傷ついているぶんマイナスとすら言えるかもしれない。



 すごくないですか?こんな片想いソング、ほかにありますか?向こう200年は出てこないんじゃないですか?
 聴けば聴くほどとんでもねぇ歌だなと思ういっぽうで、なぜか共感の楔がガツンガツンと打ち込まれてくる。

 自分がヘタレ受け身男子だという自覚があり、高嶺の花子さんをまだ聴いたことがない人は、絶対に聴くべきである。
 とりあえず一回だけ、1番だけでもいいから聴いてほしい。そうしたら絶対、最後まで、何度も繰り返し聴きたくなるはずだ。
 これはいままで決して日の当たることのなかった人種であるぼくたちのために作られた、歴史に残るべき名曲である。



 余談だが、今年はTBS系ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』が大ヒットし、ヘタレ受け身男子とその魅力が世の女性の注目をおおいに集めた。
 リリースから3年の時を経て、ようやく時代がback numberに追いついた……のかもしれない。



back number
2013-06-26