広島人というのは不思議な生き物で、サッカー派の人や野球のルールを知らない人、なんなら「中継延長でドラマが遅れるから野球は嫌い!」という女の子でも、カープのことだけは、みんななんとなく好きだ。
 
 たとえばぼくの母なんて、イチロー以外の野球選手を知らないし、この世に野球チームは巨人と広島しかないと思っているし、野球好きな父をいつも「ごはんのときくらいテレビ消したらええのに」と叱るが、そんなんでも、新聞を読んでいてスポーツ欄が目に入れば、「へえ、カープがんばっとるんじゃねえ」と口にする。
 そういうDNAなんだろう、と思う。広島に生まれる、広島で育つということは、たぶん、そういうことなのだ。
 好きの程度に差こそあれど、好きか嫌いかの二択を迫ったときにカープを「嫌い」と言える広島人は、おそらくほぼいない。

 だから当然、28歳のぼくも、ほかの若い世代の人たちも、物心ついたときからカープが好きだ。
 野球部もサッカー部も卓球部も帰宅部も、男子も女子も中性的な人も、みんなカープに親しみを持っている。


 ただ、ぼくたち20代以下の広島人には、ひとつコンプレックスがあった。

 1991年の優勝から四半世紀という歳月は、あまりにも長すぎた。しかもその25年間の広島東洋カープは、大半がBクラス、もっと言うと5位か6位が定位置だった。
 つまり、20代以下のぼくたちは、物心ついたときから弱いカープしか、最下位争いをするカープしか知らずに育ったのだ。

 春になれば、みんな「始まったねえ」とは話すし、開幕直後の調子がよければ「カープ、今年はええ感じじゃね」とは言う。
 けれど、それはいつも、明らかに冗談めいていた。親もご近所もテレビも新聞も、誰も本気では言っていなかった。
 で、案の定、5月後半くらいになるとカープはだいたい失速してくる。「鯉の季節が過ぎるとやっぱダメじゃったねえ」なんて苦笑いして、徐々に野球の話題は減っていく。
 それが、ぼくたちの「あたりまえ」だった。野球って、カープって、まあそういうもんなんだろうな、と思っていた。

 だから、ぼくたちはずっと、自分の親や上の世代の人たちがたまにする「前にカープが優勝したときはすごかった」という昔話を、ぼんやりと聞くことしかできなかった。それはまったく想像がつくものではなく、遠い異国のおとぎ話のようにすら聞こえた。
 カープに対する愛情や愛着はきっと同じはずなんだけれど、かたや優勝を知っている世代、かたや万年Bクラスしか知らない世代。
 そこにはなんだか、見えない感覚の壁がずっとあったように思う。
 ぼくはそれをときどき感じることがあって、それがちょっとさみしかった。くやしかった。


 でも、ついに、それがなくなった。

 2016年、ぼくたち下の世代は初めて「強いカープ」を見ることができた。上の世代は「強いカープ」に再会した。喜び方の大小はあれど、広島に関わりのあるすべての人が歓喜した。
 「前にカープが優勝したときはすごかった」の「前に」がようやく更新されたことで、全世代がひとつの思い出を共有し、広島がホントのホントにひとつになったのだ。

 しかもその優勝は、25年前の優勝メンバーだった緒方監督がもたらした。
 ぼくたち20代の子どものころのヒーローだった、黒田と新井がもたらした。
 そして、いまの10代のヒーローである、菊池や丸や、ほかすべての選手がもたらした。
 チームとしてもあらゆる世代がつながってひとつになったと言える、すばらしい優勝だった。



 優勝直後、うちの実家やその近所では、お隣や親戚から電話がかかってきたり逆に電話をかけたりしては「おめでとうございます」と言い合うという、奇妙な現象が発生したらしい。
 なにやってんだという気もしなくもないが、まあ、それくらい広島人の生活とカープというのはあたりまえに溶け合っているものなのだと解釈してほしい。


 瀬戸内海のようにおだやかで、カープレッドのように情熱的なまち、広島。
 これからきっと、もっともっと、すてきなまちになっていくと思う。


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▲2004年、アテネ五輪代表に黒田が選ばれたときのレプリカユニフォーム。いまでもぼくの宝物。



鯉してるオールキャスターズ
ビクターエンタテインメント
2009-04-03